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BitSummit THE 8th BIT開催の一方で、裏のBitsummit「art bit」が行われていた――インディーゲームと現代アートの境界を探る企画展

9月2日~3日にかけて開催されたBitSummit THE 8th BIT(以下、BitSummit)。日本最大のインディーゲーム見本市は、今年も新型コロナが猛威を振るう状況に対応する形でオンラインと実地開催を使い分けることで無事にイベントが行われた。

そんなBitsummitが開催された同じ京都にて、裏Bitsummitととも言うべきイベントが開催されていたのを知っているだろうか? その名は「art bit – Contemporary Art & Indie Game Culture –」(以下、art bit)。

「art bit」はホテルアンテルーム京都 GALLERY9.5にて、7月9日から9月11にかけて開催された。そのイベント名のとおりインディーゲームと現代アートを並列し、両者のクリエイティブの隣接を考えた企画展である。

本展示はBitsummitの運営にも関わる、Skeleton Crew Studioの村上雅彦氏が参加。それゆえにインディーゲームを紹介する新しい可能性を模索する意味も見られる。さてBitsummitが行われた裏では、インディーゲームのどのような可能性が追求されたのだろうか?

「企画展のコンセプト」からインディーゲーム表現の可能性を探し出す

今のインディーゲームではマーケティングの重要さなどがCEDEC2021でも語られることが少なくない(もちろん大事なことだ)のだが、根本のひとつはゲームが持つ表現の可能性を探る意味があったはずだ。

art bitでは、各ゲーム単体の表現の可能性というよりも、展示するコンセプトによってゲーム表現の可能性を見出そうとしている展示である。企画展とは単純に「こういった作品があります」と作品を並べるものではなく、企画のコンセプトによって展示全体の美的な印象を生み出すものだ。

ちょっと難しい話かもしれないけれど、これは音楽におけるDJの楽曲セレクトだとか短編小説のコンピレーションを想像してほしい。各作品はバラバラだが、あるコンセプトによって編集することで、何らかの一貫性が生まれることに近い。

つまりBitsummitが通常のインディーゲーム見本市としての価値を提示している一方で、art bitでは展示のコンセプトによってインディーゲームの表現の可能性を探るものである。その意味で、本企画展は裏のBitsummitと言うのにふさわしい。

art bitには3つのコンセプトによって展示が分かれている。たとえば「ミニマル・規則性アート」というテーマで提示された作品はこうだ。

えふぇ子氏の数学×弾幕ゲーム『Mathmare』のもたらすミニマリスティックな世界と並列して、美術家の竹内義博氏による抽象絵画が展示される。これは「ぷよぷよ」シリーズのような落ちものパズルの全消しといった、パズルゲームの画面がもたらす抽象的な画面がモチーフになっている。

こうした企画展を提案したのは、ホテル アンテルーム 京都を運営するUDS株式会社の豊川泰行氏だ。過去にゲーム研究をやってきた経緯もあったことが、こうした企画にあった。

もともと本ホテルは通常の宿泊施設に加え、著名なアーティストとコラボする試みをしていた。コンセプトルームでは現代美術家のヤノベケンジ氏や写真家の蜷川実花氏のほか、彫刻家の名和晃平氏とコラボした客室が展開されるなど、一ホテルに留まらない運営を特徴としている。

そこである時、asobuのチャオ・ゼン氏をはじめ、インディーゲームに知見の深い人々に話をしていく中で今回のかたちに発展していったそうだ。そうした人々の中に、今回のart bitに関わっている村上氏も含まれていた。

村上氏は「Bitsummitを開催していくなかで、いちばん重要なのはインディーゲーム開発者にいろんなチャンスを与えることなんです」という。しかし「実際にコラボレーションが頻繁にあるわけではありませんでした」とのことで、ずっと何らかのコラボはやりたかったのだそうだ。

そんなふうに村上氏はコラボのチャンスを伺っていたなか、ちょうど豊川氏から今回の企画を持ちかけられ、今回のart bitに至ったという。

「インディーゲームでクローズなコミュニティを作りたいという思いはまったくなくて。ただ我々から内側から広げようというのも難しく、今回、豊川さんなどアート側の方が一緒に出来そうと思っていただいたように、もっと音楽などポップカルチャーのいろんなところとやっていきたいんです」

豊川氏と村上氏は企画を練っていくうちに「最終的にクリエイターが作品としてアウトプットすることは、ゲームもアートも一緒なんじゃないか」という考えに至ったそうだ。

「今回の場合って、ゲームとアートを区切らずに、クリエイティブなものとして作る人にフォーカスを当てることを意識してやっています。ゲームという事ですらなくて、もっと大きな意味で作品作りをしている人は素晴らしいよね、という気持ちで参加しています」

「デジタルアートの思想」というパートでは、弊誌でも過去に特集したアーティストのたかくらかずき氏による『摩尼遊戯TOKOYO』 とPillow Castleによる強制遠近法と目の錯覚を利用したパズルゲーム『Superliminal』、そして1980年代から8ビットパソコンでゲームを作り続けるTPM.CO SOFT WORKSの作品が展示されている。

たかくら氏はピクセルアート(さらに言えばデジタルメディアにおける画像というものの性質)を掘り下げるアート作品を作りながら、ビデオゲームも開発する人物でもある。彼の作品にエッシャー的な印象を与えるゲームである『Superliminal』や、ミニマルなビジュアルを持つTPM.CO SOFT WORKS作品を並列することで、何らかの共通点などを見出してほしい意図があるようだ。

豊川氏はこうした展示についてこう語る。「現代アートの持つゲーム性と、インディーゲームのもつアート性を見せることが1つのコンセプトでした。両者の共通点や、両者を曖昧にすることで生まれる豊かな文脈を感じていただけるような展覧会にしたいと思いました」

美術評論家とゲームクリエイターの語る、ゲームとアートのジャンルが複合する状況

展示には「観光・地域アート」というものも。スマホでプレイできる『宇治市~宇治茶と源氏物語のまち~』が展示されている。

art bitではこうした試みもあって、美術評論家の中尾拓也氏と、『アクアノートの休日』や『モンケンクラッシャー』を開発し、『水没オシマイ都市』を現在制作中である飯田和敏氏がアートとゲームについてのテキストを寄稿している。特に飯田氏は商業のビデオゲーム業界にて、長年に渡りテキストを寄稿している。(たとえば電ファミニコゲーマーに寄稿されている彼のコラムを読めば、それがよくわかるだろう)

今回、おふたりからお話をうかがう機会を得られたため、簡単に紹介しよう。まずおふたりに「近年ではゲームと現代アートの結びつきが、少なくなく見られるのではないか」という事情を伺った。

これは弊誌でもたびたび紹介してきたように、東京藝術大学がゲーム学科を行ったり、2018年には「イン・ア・ゲーム・スケープ」という大規模なアートとビデオゲームの展示が行われるなど、近年では興味深い隣接が見られる。

中尾氏は現代アートの嚆矢でもある、マルセル・デュシャン(※)を別解釈する意味でゲームは大きいことを語った。デュシャンを通常の現代アート批評文脈から別の方向から評するために、彼がチェスの腕前がプロ級だった……という逸話から再考しているのだという。その考えは「マルセル・デュシャンとチェス」という書籍にまとめられている。

(※マルセル・デュシャン 20世紀最大の美術家と言われるひとり。便器や自転車の車輪をそのまま作品として展示するといったやり方で、既存のアートの概念を壊していったことで有名な作家。キャリア後期は作品制作以上にチェスでの活動が目立っていた。)

「なぜ人は遊ぶのか、なぜ人はつくるのか、ということをどのように考えていくのか。現在ではAIの問題もありますが、それも含め、私がマルセル・デュシャンのチェスに見ているのは、芸術あるいはゲームという『ジャンル』ではなく、制作と遊戯のあいだに宿る『クリエイティビティ』になります」

一方、飯田氏はこう答えてくれた。「ルネッサンス期に代表されるように、元来、美術や芸術、哲学、思想、運動といったものは、一体のものであったが、近代にセグメント化されてきた背景がある」

「それに対し現在、デジタルの破壊力が分断を再統合し、マインドセットを戻すような動きを生んでいる。コロナのような全人類的な課題が発生する中で、今、全体的な知が要請されており、その先駆けとしてゲームとアートの結びつきが進んでいると感じる」

続いて、「デジタルやアナログを含むゲームカルチャーは、アートの文脈において、どのような点を美術として評価できる点があると考えているか」について伺った。

中尾氏はまず「現代アートにおいて、ジャンルやメディアの問題は相対的なものです」と答えた。

「私自身はゲームカルチャー自体をアートの文脈の中で評価するということよりも、それらの境界領域にある作品ついて、制作と遊戯のあいだに宿る『クリエイティビティ』の観点から美術の問題としてとらえていきたいと考えています」

飯田氏は「美術が作家の観察眼が捉えた世界のルールを視覚的に共有していくのに対し、ビデオゲームは作家が再構築した世界のルールを、プレイ体験を通して共有していく」ことに注目しているのだという。

「そこには単なる共有ではない、作家とプレイヤーの間の衝突を生み出す。多くの衝突が人々の分断を生み出すのに対し、遊びは衝突のバックグラウンドで、プレイヤーの中に現実世界に対する新たなルールを再構成し、社会を柔らかく変革していく」

「イデオロギーではなく、サスティナビリティを持って世界を最適化するような作用がゲームにはあると感じており、ルールメイキングの芸術としてのビデオゲームに可能性を感じている」と回答いただいた。

そこには『太陽のしっぽ』のような3Ⅾゲームや、『ディシプリン*帝国の誕生』といった現実世界の事件などを題材とした監獄のゲームを作ってきた飯田氏ならではの視点があるだろう。

ゲームクリエイターになりたい少年を描く『RPGタイム!~ライトの伝説~』の展示も。

最後に今回のart bitの試みをどう感じたかについて伺った。中尾氏は「私自身の興味である制作と遊戯の共通点と相違点について、何かしら示唆を与えてくれる展覧会となっていることを期待しています」と簡潔に答えてくれた。

一方、飯田氏は長年ビデオゲームとアートの関係をテーマに活動してきたのもあり、かなり本質的な解答が返ってきた。

「本来、同じ世界、時代に存在しているアート作品とビデオゲーム作品が、セグメント化された世界の中で、別々のものとして扱われてきたことに対し問題を感じている。今回の展覧会を通して、両者が同一空間に展示をされることに意味を感じる」

飯田氏によれば、それは「ビデオゲームを高尚な芸術に押し込むのではなく、アートとゲームを自然なかたちで統合する試み」なのだという。それは今回の出展者が、同じビデオゲームを制作していながらも、美術家、イラストレーター、ミュージシャンなど、様々な背景を持つことにも現れているそうだ。

「もっと自然な環境に近づけていかなければいけない。そのための試みとしてart bit展は重要な展覧会として位置づけられる」と、飯田氏は本企画展のコンセプトからさらに広げられるだろう展望についてまとめてくれた。

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